遠くでフクロウの鳴き声が聞こえる。もう初夏とはいえ、時が経つほど心地よい涼しさを感じる。焚き火が小さく燃える音だけを残して、真夜中の林は穏やかな静けさが広がっていた。
さきほどまでは。
青年と言うにはわずかに若い男が、倒れた幹に腰掛けて火の番をしている。男の名はシンエイという。
シンエイは瞼を閉じながら、いく数の木の後方に気配を感じた。おそらくケチな追剥か、付近を縄張りにしている盗賊と言ったところだろう。小声でシンエイは横になっている人間に話しかける。
「リイヤ」
「起きてるよ、火は付けてた方が良いのかな?」
すぐに応えが返ってきて、背格好の似た人影が起き上がる。そして、未だ安らかに眠る母子に眼を向ける。
シンエイとリイヤは、とある村から街まで行く親子を送る護衛のさなかだった。親子が街に行く用事は出稼ぎ先で怪我をした父親の看病をするためだと、道すがらに聞いている。
「様子を見る。とりあえず逃げられるように二人を起こせ」
リイヤは頷いて二人の肩を揺らす。眠りが浅かったのか母親は焦げ茶の頭に手を当て、すぐに青い目を覚まし張りつめた顔をした。夢うつつの中にいる6、7歳ほどの我が子を自分の腕の中に抱き寄せる。
「じっとしてて」
リイヤは出来るだけ落ち着いたを声して、彼女たちの横に立ち周囲に目を走らせる。
言葉は自分に言い聞かせてもいた。二人にとって、これが本当の初仕事だったからである。
木の葉で服を擦る音とともに足音が近づく。足音の数は二人。もしかしたらそれ以上にいて、側で隠れているかもしれないと思うと油断できなかった。
林の影から、二人の男がシンエイたちの前に姿を現した。剣を手にして。
「おい!……何だよ女子供だけか。身ぐるみ残らず置いていってもらうぜ」
痩せた男が、焚き火の明かりの下にやりと笑った。後ろにいた図体の大きい男は浅い呼吸で喉を鳴らした。
熊でさえ、最後まで全力で獲物を倒すというのに、二人は自分たちの優位な形勢を毛ほども疑っていなかった。
狩りというには、ほど遠い。
「悪いが、そうはいかないんで。それにもう子供じゃ、ない!」
言い終わらないうちにシンエイの身体はくるりと宙を回り、目にも止まらぬ速さで剣を抜く。男たちは突然の出来事に呆然としていた。
リイヤは落下していく勢いのまま、痩せた男の剣を上手く弾き飛ばした。
まるで光と音が弾けたような衝撃が痩せた男の腕を襲った。手首から右ひじにまで響く痺れが一瞬にして伝わる。
男は信じられないものでも見た顔をして、震えて利かない手首をゆっくりと押さえた。
図体の大きな男が慌てて叫ぶ。
「オルッ、ガ……」
名さえ告げ終わる前に、首に冷やりとした狩猟用ナイフが当てられた。
「喋らないで。そうしないとおじさんの首飛んじゃうよ」
耳元で艶やかな低い声で淡々と告げられた。大きな男にはすぐにでも薄皮が切れそうな程度に押しつけられていることが解った。シンエイの宙返りに気をとられて、もう一人の存在を忘れていたのだ。
リイヤは男から剣を奪い、その柄でおもいきり頭を殴りつける。男はよろよろと崩れおちた。
「リイヤ、よくやった!」
シンエイはそう言い後ろ向きでにかっと笑い、痩せた男の腹を殴って気絶させていた。
「シンエイ、よそ見してたら危ないって……」
「だってこいつら、てんで弱いからよぉ」
「そりゃあ村の人達と比べたら、ね」
二人は気絶した男達の手首手足を何重にも縛ったところで、今回初の護衛としてお供することになったトロント親子の母親の方に声をかけられた。
「あなた達強いのねぇ、疑ってたわけじゃないけど驚いたわ」
「へっへー。格好良かった、俺達?」
シンエイは得意げに近づいてくる。
しかし、シンエイの襟首を横から引っ張る者がいた。
「さっきの宙返り、なに?」
落ち着いた声と表情でリイヤが、ゆっくりとシンエイの首元を閉め続けていく。徐々に相手の顔は蒼褪めていった。
「ず、ずみまぜん〜、ごれがらは、ぎをづけぇ……」
先ほどの兄のパフォーマンスに内心冷や汗をかいていたリイヤは、反省の言葉が足りないとさらに締めつけようとする。
母親の方つまりトロント夫人が、慌てて静止させようと声をかける。
「私たちは助かりましたので、その辺でリイヤ君!?」
眠たげにしていた男の子は驚いて、青の目を丸くして見つめている。
リイヤはトロント夫人の言葉を聞き我に返り急に腕の力を緩める。反動によりシンエイは尻持ちをついて座り込んだ。
「すいません。この馬鹿はこうでもしないとわからないもので……シンエイ、今回は二人の気を引くことに成功したから、よしとするよ。でも一人ならまだしも、護衛してて次に無茶したら、これくらいじゃすまないから」
シンエイは勢いよく首を上下に振ってうなずく。見かねたトロント夫人が兄弟の中に割って入る。
「まあまあ」
夫人が止めるのを良いことに、追及の難を逃れて謝罪を述べた。
「ごめんっ。本当に次から気をつける、けほっ」
座り込んだ時にシンエイは大げさに息を整えていたが、その気配はすでにない。わざとらしい咳に本当に反省しているのか疑わしものだったが、謝罪は受け入れよと教わった父の言葉が頭をよぎる。
「解ったなら良いよ」
よくシンエイが突っ走っていくのに手を焼いていた父を思い出す。故郷を出てからは、引き止め役がリイヤに変わっただけのことだったのだ。
そしてリイヤは、ためらいつつあることを口に出した。
「あと、私、女です……」
「え? えぇえええええ!? お、女の子だったの?」
「それほど、驚くこと?」
「リイヤ、今日も男に間違われたな。別に男装してるわけでもないのに」
笑いがこみ上げてきそうなところを、シンエイは慌てて顔を逸らした。リイヤがトロント夫人に見えないように、半眼で睨みつけてきたからだ。
故郷では、男女も関係なく、おおまかに肌着と下穿きの上から貫頭衣を重ね、剣を差せるよう作られた革の帯を腰にした服装をする。長剣を腰にさげ、ナイフは目立たないような場所に隠し、二人は目立たない濃い青を身に纏っていた。
短い黒髪のシンエイそして同じく黒髪のリイヤは、背中を流れる長さのため一つに結んではいるものの、ことあるごとに二人は「男兄弟」と間違えられた。だからこそ、この人の良さそうな母親に、今日初めて聞いてみたのだ。
「他の国でなら女性もそういう格好するとは思うけど、あまり見かけないしシンエイ君と同じ格好だから、つい男の子だと思ってたの。ごめんなさいね」
「平気です。ただ会う度に勘違いしてしまう人が多くて、驚いてしまって。私、男顔なのかな?」
「というより女の子にしては凛々しい顔立ちで細見だから、美少年に見えるのよっ」
成熟した女性にはしゃぎ声で告げられる。さらに解らなくなり、リイヤは半笑いでうな垂れた。
「いーやお前は青の国基準でいえば、男顔なんだろうよ」
リイヤとは違って素朴な顔立ちのシンエイは、馬鹿にする話題が出来たと、妹に叱られたばかりの兄は嬉しげにリイヤの頭に手を添えてくる。
「シンエイには聞いてない」
リイヤは顔を逸らして彼の手を振り払い、枯れ枝をお情け程度に残っている焚き火にくべた。
気絶した男を連れて行くのは面倒なので、警備隊に場所だけ連絡だけすれば良いかという話になった。
シンエイの言い分では捕獲するのは仕事のうちじゃないから、無理しないでいい、ということらしい。リイヤは誰が一番いつも無理無茶をしているのだろうかと、考えながらも火の番をする。朝日が目に染みてきた頃、結局それに同意した。
夜が明けてすぐ、連中を放置することにして周囲に注意を払いつつ街へ向かった。
夜中のことがあったのもあり気を抜かないように歩き続け、周りの空気が暖かくなってきた頃に街へ到着した。
シンエイたちは緊張感から眠気はなかった。父の鍛練のおかげで二、三日不眠不休で動いたところで、どうということもない。ただ親子を無事街へ送り届けることが出来たという初めての仕事に達成感が湧いてくる。
この後は追剥のことで警備隊に行かなくては、とリイヤが考えていると。
「茶色の目のお姉ちゃん」
眠たくて母親に寄りかかりながらも男の子が、去り際に尋ねる。
「お姉ちゃんたちの目はなんで青くないの? ねぇ、なんで?」
「これ、何をいきなり聞いてるのこの子は」
トロント夫人は「なんで?」を繰り返す我が子をたしなめる。
「いえ、かまいません」
子どもの純粋な問いかけだ。シンエイたちが異国人だから、と答えれば簡単だが、一番の正解ではないし、何よりこの青い目の男の子にそう思い込んで欲しくない。
シンエイたちは異国人であって、異国人ではない。世間に出たばかりのリイヤには答え方が解らなくて言い淀んでしまう。
「何で俺たちの目が茶色かって? 旅しながら、その答えを今探してんだ。今度会ったら特別に教えてやるよ」
シンエイが笑みを湛えている。男の子はじゃあ必ず教えてよ、と約束して別れた。
リイヤは調子の良い奴と思うが、それよりも子どもの問いにより、考えたこともなかった己らの存在の矛盾が浮かび上がってきたと感じた。
村は青の国に確実に存在するが、村から出た後、青の国に一歩踏み込むと誰もがまるで存在すら知らないという有様で戸惑いを覚えたものである。そして村人全てが青の瞳を持っていなかった。拭えない違和感からこの国の中で生まれたはずなのに、二人は「青の国、青の国」といつの間にか他人行儀になっていた。
知ることのなかった青の瞳に見つめられることさえ、未だ不思議に思える。
このままで果たして答えを、証を上げることが出来るのだろうか、リイヤは村の掟を思い出す。
故郷を出て、二週間あまり。
シンエイとリイヤは生まれ育った村を出た。村は辺鄙な場所にあったが、実り豊かな自然を周りに彼らは育ち、年中狩りや家業である絹の生糸作りを手伝っていた。村一番の剣の使い手を父に持つ二人は、年々厳しくなる父のしごきに倒れることもあったが、それを除けば十分楽しく暮らしていた。
やがて双子のシンエイとリイヤが成人である16の歳に近づいてきた頃、村長から告げられる。
「村の掟として、成人の証を立てよ。それまで村に戻ることは許されない」と。
それは村では成人した者は村を離れて流浪の旅に出なくてはならず、己が成人したと胸を張れる証をあげるまで、村の出入りを禁じられた厳しい掟である。
二人は16になれば村の外に行くことを許される、ということだけ知っていた。その話を聞いて村には、青年たちがなかなか帰ってこないこと、時々ひょっこり帰ってくる強者たちがいることを理解する。
だから単純に剣で武勲を上げれば良いのだと考えていた。村長はただ、「証」を立てるのだと伝えていただけなのに──。
こうして若い二人の剣士は、辿り着いた青の国での初仕事を終えた。