誰の一万円? 問題編


 GWを来週に控えた4月、金曜の夜。大型連休を前にして、繁華街は新入生、新社員の歓迎会シーズンでいつも以上に賑わっていた。私たちのサークルもその一つだ。

 入学して数週間、聖藍大学の校舎の配置をおぼろげながらに記憶し始めていた。私はその合間で、激しくせめぎ合うサークル勧誘の中、美術鑑賞サークル「ダ・ヴィンチ」に仮入会した。
 活動内容は月に一度、集まれるメンバーだけで都内の美術館巡りをすることであり、時には録画した美術特集番組を見たりと、いたって地味なサークルなようである。
 他では主に美術部など定期的に創作展示をするサークルもあったりしたが、絵や美術品を見ることは好きでも、描いたりはしない私は、決して勧誘の誘い文句の『卒業旅行は他サークルと合同でフランス・イタリア・イギリス旅行を毎回計画してます! みんなでルーブルへ行こう!』に乗ってしまったわけではないが、何気なくこちらに足を運んでしまった。

 卒業前までにこのサークルに居座り続けるかさえわからないし、ユーロだって安くはない、むしろ今ならドル安なアメリカ旅行に行くのが正しいのかもしれない。しかし、大学の入りたてで、そんなことまで考えてもしかたない。女は度胸だ、と仮入会の署名をした。
 私を含め、現時点で4人の新1年生が「ダ・ヴィンチ」に加入した(これ以降増える可能性があるかはわからない)。

「全員で何人くらい来るんですか?」
 同じ1年の幸村綾香が先輩たちに尋ねる。
「最初から4年が2人遅れて、遅刻してるのが1人で、全員は来てないけど16人くらいかな」
 丁寧に答えてくれたのが、肌はこんがりし、ボウズ頭に眼鏡をしている3年の小野会長である。
 幸村綾香とは、サークル説明の時に初めて出会い、学部は違っていたが同性の同学年ということもあり、早々にメアド交換をしていた。髪型はふわふわなウェーブ、やや素朴な顔立ちであるが、おっとりしているかと思えば打てば響くように卒なく喋り、清楚な服装を好む女の子らしく、私は初対面ながらもすぐに彼女を気に行ってしまった。私は、彼女が周りの人間をなごませる素質を持つ人間だと感じだしている。

 一方私は、人見知りはしない方だが女子高だったのもあり、高校3年間で同世代の男の子と改まって話した事がほとんどなかったことに気づく。
 安穏とした女子グループの中で私の世界は完結していたのだ。
 今日の参加メンバー及び「ダ・ヴィンチ」が約1/3が女子であるが、つまりそれは残り2/3が男子なんだと唐突に理解し、また学生同士で居酒屋に入っていく初めての経験に、少なからず緊張していた。

 待ち合わせ時間になると、集合したメンバーだけで(遅れる者は置いて行く&メールで連絡)、予約していた全国チェーンの居酒屋へ入った。
 すぐに予約席に案内される。仕切りで区切られ、メンバーが顔を見合わせる広い空間になっていた。何となく1年は緩慢な動きで固まるように席に着き、「飲み放題だからじゃんじゃん頼んじゃって」と女性メンバーの遠藤さんがドリンクメニューを渡してくれる。
 遠藤さんは、可愛くお団子をしている髪型で、眼がくりくりとしている。1年メンバーに気を使って明るく喋りかけてきてくれる。私はピンクグレープジュースを頼んだ。

 ほどなくすると最初の飲み物が来て、小野会長が歓迎の音頭を取るとそれからは、メンバー全員の顔合わせを兼ねた自己紹介を順番に行い、料理をつつきながら、地元や学部の話の話をしたり、どの先生が授業の単位が取りやすいか、去年の文化祭では小さなトリックアート館を作ったというのを熱心に聞いていた。


※※※


 就職活動中で遅くなった4年も途中参加で加わり、次第にペースの早まる酒は盛り上がりを見せていた。
 それを抑制するかのように頃合いを見計らった店員が大きな声で告げる。
「お客様! もうすぐラストオーダーの時間となります。ご注文の方は?」
 2時間制の飲み放題の終わりが近づいてきた。店も活気で忙しそうである。ウーロン茶をピッチャーで注文、もちろんアルコールを所望する人間もいた。

 会計係の遠藤さんが、「そろそろ飲み代集めるよー」と呼びかけると、全員が財布を取り出し始める。費用は3千円(相場なのかもしれないが、1人暮らしを始めたばかりの私には高すぎる!)。
 彼女のテーブルの手元には投げ捨てられるように、いっせいにお金が集まってくる。

「俺、五千円しかないから釣りちょーだい」
「俺もおろしたばっかりで、一万しかない」
「あ、ちょっと待って、誰が払ったか確認してから…」

 慌てながら遠藤さんは、支払った名前をチェックしながら、千円札を集めてから、順に五千円と一万円で支払う人に集めた千円札、五千円札でお釣りを払っていくようである。
それでも、お金が無断で積まれていく。
「待てと言ってるだろーが!」
 少々ヤケ気味に遠藤さんは叫んだところ、オーダーを受けた店員とは別の女性店員がお構いなしに声をかけた。
「ウーロン茶、お持ちしました! あとカシスウーロンに……」
 大きなピッチャーに入ったウーロン茶がコップを誰かが受け取ると、テーブルの上から回されていく。なるほど、これでアルコールの回った頭を少しでも冷ます、ということなのだろう。
 遠藤さんはウーロン茶のコップには手も着けずにいた(むしろお金をかき集めて、水に濡れないように遠ざけていた)。



「あれ?」
 しばらくして遠藤さんは不思議そうにつぶやく。
「何、まだ誰か払ってないやついる?」
「足りないとか?」
 小野会長も覗いてくる。
「ううん、逆。一万円多くなってるの!」
 遠藤さんは、同じ面の4枚の一万円札を扇のように広げてみせる。けれども、枚数が少ないからか、半分ほどすぐに曲がってしまい、福沢諭吉の姿絵は見えなかった。

 しかし周りはというと目を輝かせ始めている。当然のことながら一万円と言えば、バイトが出来る大学生には大金、というほどではないにしろ、されど日本のお札にして唯一の万札であり、貴重な一万円には違いなかった。
「俺だよ、俺が間違って2万払ったんだ」
「おまえ、さっき3千円払ってただろ! 気づかなかっただけど、たぶんの俺だって!」
 目の色を変えた人間のほとんどが「俺だよ、俺!」と言いだしてきた。

 うるさいメンバーを無視して、遠藤さんの記憶によると、一万円で支払ったのは、2年の斎藤さん、3年の永山さん、4年の黒田さんの三人ということだけは覚えていた。しかし、一向に誰のものかまではわからず、会長たちは困惑ながらも「これじゃ誰のかわからないから、会費にしてしまえば?」という案を出す始末である。


※※※


 急に私たちの目の前に飛び込んできた一万円。店にお金を支払う時間も迫っているし、歓迎会のの締めがこれでは、後味の悪いものになってしまいそうだ。
 私は隣にいる幸村綾香と「困ったことになったね」と顔を見合わせる。
「後で、2次会でカラオケも行くって言ってたけど、そんな場合じゃないかもね」
 私たち二人は用意していた3千円で支払っていたし、1年であり仮入会の身で先輩に口を挟める理由もない。傍観者という蚊帳の外にいた。

 テーブルの向こう側を見ると彼らも同様のようである。
「丹野、もうすぐここ出る時間になるけど、大丈夫か?」
 背の高い宮沢君がしゃがんで、丹野君に呼びかける。
 丹野君は先輩たちにいじられて(可愛がられて?)ハイテンションになった後、今は眠そうに壁にもたれている。かろうじて宮沢君に預ける形で、お金を払ってはいた(受け取った後自分のついでに宮沢君は支払ったようだ)。


「大丈夫じゃないよ〜へへ」
 にこにこしながら、眠そうに答える丹野君。


(これは完全に、できあがってるなぁ)
 周りが微妙な空気に包まれつつあるのに、のん気な男である。
 丹野君は明るく気さくな男の子で、1年生なのに物怖じすることなく先輩たちの輪に入れるすごい人。学科が違うので、それほど話したことはないが、いつも元気一杯というイメージがある。

 宮沢君は目元が涼しげでカッコいい人だなって思うけど、表情が少なくて口数も多い方ではない。自己紹介では、経済学部で高校では美術部だったと言っていた気がする(大学には美術部もあるのに、何で美術鑑賞サークルにしたんだろう?)。

 さきほど聞いた話では、丹野君と宮沢君は同じ高校だったようで、しかし大学に入る以前は同じクラスになったこともなく、ほとんど喋ったこともなかったようだ。今では同じ高校のよしみからか、二人で話しているのを見かける。最初、宮沢君は喋ることも少なかったが、丹野君が先輩たちと話していたりすると、自然に宮沢君も話題に交るようなっていた。

 席に着いてからは、丹野君は私や綾香にも気軽に話しかけくれたので、場の雰囲気が途切れることがなくて思った以上に気持ちが自然にほぐれていった。その後で先輩たちに引っ張られて、その結果今にも夢の世界へと旅しに行きそうである。

 彼らについてはこれくらいで良いだろう。むしろ少しの間、現実逃避したいがために、二人を眺めていたのかもしれない。

(それよりもこの流れ、誰かどうにかして!)

 この店を出なくてはいけない時間は刻々と迫っており、しかし目先の一万円は誰もが欲しくないと言えば嘘になる金額でなるわけで、会費にしたとしても少なからず禍根が残りはしないかと、私は戦々恐々としていた。
 そんな中、副会長の八木さんが適当な感じで言ってみる。

「財布の中身見たらわかるんじゃない?」
「盗ったなら入ってるかもしれないけど、多く出してるんだから財布見ても…意味なくねぇ?」

 あーだ、こーだと言っているうちに、斎藤さん、永山さん、黒田さんの3人は中身こそ出しはしなかったが、お札を入れる場所をみんなに見せることになった。

 遅れてきた斎藤さんの出したのは、ヴィトンの市松模様で(ダミエだっけ?)茶色の長財布。お店に来る前に慌ててお金をおろしたらしく、お札がぎっしり!(とは言っても7、8万。それでもお金持ちだなぁ)あと、五千円札1枚と千円札が2枚。
「今日、昨日給料日だったから」

 次に永山さん。
「何で、財布見せなあかんの…」
 そう言って渋々、おしりのポケットから取り出す。財布は鎖でベルトに繋げるタイプで、四角いスタッズの付いたロック調の黒い長財布だ。
 財布の中には、五千円札1枚と千円札が何枚かあった。

 最後に、黒田さん。彼一人だけが、就活帰りらしくリクルートスーツを着ている。率先して財布を見せてくれた。
 無地のこげ茶色の二つ折り財布で、中身は一万円が2枚、後は千円札が8枚。
 千円札が多いのは、お釣りで返されたからだった。

「見ても、わかんないね」と遠藤さん。
「やっぱなー。部費にしちゃっていいんじゃない?」
 小野部長が軽く言う。他には、今日の飲み代のキャッシュバックが増えるようにしたらと、言いだす人もいた。

 私はそっちが、いいなぁと思っていたら、声をかけられた。
「ごめん、ウーロン茶とってもらえる?」
 少し復活したらしい丹野君が、私の手前にある大ピッチャーを指さす。
「はい。丹野君、大丈夫? さっき宮沢君も心配してたけど」
 同学年の範囲内での気遣いを見せる私に対し、丹野君は喉の渇いた犬のような嬉しそうな瞳を見せて「だいぶね」と答えて、ウーロン茶をグラスに注いで半分くらい飲み干す。

 彼とはまだそんなに話したことがなかったし、とりあえず目の前の状況について話を振ってみる。
「あのお金って誰のなんだろうね?」
「あー、一万円?」
 まだ、丹野君はぼーっとしているようだ。
「やっぱり3人の先輩のうちの誰かなのかな」

「俺、わかるかも」
 頬をかいて欠伸し、部長たちを眺めて言う丹野君。
 そんな答えが返ってくるとは思っていなかった。見るからに頭脳派タイプではなさそう、というわけではなく、彼はさきほどまで、この店で眠り込んでしまいそうな様子でさえあったからである。

「え? ……じゃあ先輩たちに言ってみたら?」

 半信半疑ながら言ってみる。収拾がつくのなら、それで良しなのだ。もしも一万円が正当な持ち主に返らなくても、自分には何ら問題はないが、ほんの少しだけ気の毒だなとも思ってもいたので。

「でも、先輩の手前じゃ言いにくくて」
「丹野君でもそう思うの? 先輩とも普通に話しが弾んでるから、気にしない人なのかと思っちゃった」
 丹野君は、困ったような気まずい顔をする。
「俺だって、気ぃ使うよ! 先輩たちには遊ばれてるだけだって」
 私自身、傍から見ても十中八九そう感じていたが、彼の自尊心を気づつけないように「そっかー」と相づちを打っておく。

「なるだけフォローするから、一度言ってみたら」
「本当に?」
 丹野君は、驚いたように、そして希望に満ちた声で言う。
「うん。骨は拾ってあげる!」
「……九条さんて優しい人だね」
 彼の声音は一気に急降下したが、その気になったのか、一人の疲弊兵士は数メートル先の「ダ・ヴィンチ」第一次冷戦下へと向かうべく、のっそり立ち上がった。

(話ししても楽だし、つい言っちゃけど、やっぱり丹野君て、いじられタイプだなぁ。がんばれ〜)

解決編に続く