時は江戸、まだ月も真上に届かぬ秋の夜、どこからともなく太鼓を叩く音が聞こえてきた。寝ていたひとりの若い農夫は誘われるように目を覚ました。
戸の隙間の月明かりから、音色のする照らす田んぼ道をそっと覗いてみる。
なんと笛に太鼓を奏でていたのは小太りな狸たちであった。二、三匹ではない、愉快そうに踊り歩くその姿は狸のおはやし行列であった。
驚いた男は隣で寝ていた嫁を起こし、戸の外を見せようとするも、嫁には不思議な音が聞こえるだけで狸の姿はまったく見えはしないという。
「あんた、寝ぼけてるだけじゃないか」
「そんなことはねえ、狸たちが田んぼを歩いてんだよ」
「よしとくれよ。明日も早いんだ」
稲刈りで疲れていた嫁は夫の言葉に気味悪がって、耳もかさずにふたたび布団に入る。
一方男は奇妙な狸たちの行列に魅入られてしまい、ひとりで音のする方へ追いかけた。
満月に照らされて黄金色に輝く稲穂の間を狸たちは、楽しい音色を奏でさせ、尻尾を揺らして、跳んだりはねたり踊りあかしながら、お腹を高らかに叩く音が響き渡らせては進んでいく。周りの人間が起きださないのが不思議なほどであった。
しだいに狸たちは歌いだした。
「お〜つきさん、お〜つきさん、まんま〜るお〜つきさん。今宵は格別にお美しい」
「お〜つきさん、お〜つきさん、まんま〜るお〜つきさん。今宵もお頼み申す」
「お〜つきさん、お〜つきさん、まんま〜るお〜つきさん。だから、おくれよ」
いつしか狸たちは林へと入っていき、何かを囲むようにして、その歌を繰り返す。狸たちはひしゃく片手に囲んでいたのは土を掘り起こして出てきたのは酒つぼだった。
(ははあ、これは狸たちのお月見というわけか)
狸たちが年に一度待ち望んで開けられる月見酒。いったいどんな味がするのか男も飲んでみたくなった。そして隠れていた男は男は狸たちに呼びかける。
「た〜ぬきさん、た〜ぬきさん、まんま〜るた〜ぬきさん。今宵はだめだ」
「た〜ぬきさん、た〜ぬきさん、まんま〜るた〜ぬきさん。明日は良いぞ」
呼び声に、狸たちのおはやしの音が小さくなり、狸たちは不思議がる。はて、これはお月さんの言葉なのか。一日早く、酒つぼを開ける日を間違えてしまったのだろうかと思い、男の言葉通り酒つぼを土に埋め直し、狸たちはおはやしの音を奏でて去っていった。
(しめしめ狸ども、まんまと騙されたな)
男は狸たちがいなくなったの後、狸たちが隠した場所から酒つぼを掘り出した。
蓋を開けると、酒には夜空の星と共に真上に登った月が浮かんでいた。それほどに美しく透きとおり、微かにも強い香りがした。
男が一舐めすると、今の今まで飲んだことのない極上の味がした。一口すくい飲むと、体中が燃え上がり、天にも昇る気持ちになった。
これほどの酒を狸たちだけが飲むのはもったいない。狸たちはきっと明日も月見へとこの場所にやってくるだろう。
(ようし、酔ったところを襲って狸たちを全て狩ってしまおう)
酒も狸の皮も手に入る。男はそう考えて酒つぼを元の場所へと戻した。
仕事を終えた次の夜、男は使い慣れた鎌と縄を持って狸たちが通るのを家で待ちかまえた。昨日と同じ頃になって、怪しげで楽しげな音色が夜に響きだした。狸のおはやし行列がやって来たのだ。十五、六匹はいるだろうか。男が静かに追いかけて、林に入ると狸たちは歌いだした。
「お〜つきさん、お〜つきさん、まんま〜るお〜つきさん。今宵も格別にお美しい」
「お〜つきさん、お〜つきさん、まんま〜るお〜つきさん。今宵こそお頼み申す」
「お〜つきさん、お〜つきさん、まんま〜るお〜つきさん。だから、おくれよ」
何度も酒つぼの周りを歌い踊りを繰り返した。
今夜こそ月見酒が飲めるとばかりに狸たちは、ひしゃくにおちょこに、皿に湯呑と酒を注げるのなら、どんな器でも各々取り出して酒を旨そうに飲んで、楽しんだ。
狸たちがどんちゃん騒ぎをしている間、男はじっと見つからない場所で隠れて待っていた。
(そろそろか)
頃合いを見て、男は酔いの回り始めた狸たちに襲いかかった。
狸たちは突然現れた男に度肝を抜かされその上、足はふらふら、頭もくらくら、全ての狸たちが男を見て一斉に倒れ込んでしまった。どうやら驚きすぎて気絶してしまったようだ。
男はしめしめと思い、動けないように狸たちの手足を一匹ずつ縛り上げていく。
ところがそうは簡単にはいかない。
十五匹のうち半分の狸たちが、ぱちりと目を覚まし、捕まっている仲間を見て、男に襲いかかってきたのだ。油断していた男は狸たちの反撃に抵抗することもできずに、波に呑まれるように八匹の狸に地べたに押しつけられ、そのまま縄で、身体をぐるぐる巻きにされてしまう。男は地をはうことすら、ままならない。
狸たちは男に言う。
「やい、人間!」
「いったい、おまえはどうして俺たちを捕まえにきた!?」
「お月見の場所をなぜ知っている!?」
男は八方から口ぐち言う狸たちに、自らの鎌の刃を首に向けられて狸たちに問われた。
「おまえの鎌、磨いてないな?」
「首をちょん切るには痛いだろなあ」
「お前の皮を剥いで干物にしてやろうか」
中にはこんな歌をうたいだした狸もいる。
「お〜つきさん、お〜つきさん、まんま〜るお〜つきさん。こいつの頭をちょん切るよ」
「お〜つきさん、お〜つきさん、まんま〜るお〜つきさん。だから、おくれよ」
男は酒を盗もうとしたこと、狸たちを狩ろうとしたことを話して、命乞いをした。
しかし狸たちは男の周囲を揃って踊り歌いだした。
「お〜つきさん、お〜つきさん、まんま〜るお〜つきさん。こいつの頭をちょん切るよ」
月の光を浴びた鎌は男の首に振り下ろされた。
「うわあああああああ!」
何度も命乞いをした。しかし鎌は男の首に振り下ろされた。
そのはずだった。男は自分が叫んでいることに気づき、首と体が繋がっていることを手探りで確かめた。
「生きてる! 生きてる!」
ほっとして胸を撫で下ろすも、気がつくと男は朝もやの中で、夢か現かどこかもわからぬ田んぼ道にいた。いつの間にか狸たちも消えていた。
しばらく腰を抜かしていたが、男は何とか丸一日かけて家にたどり着く。
「あんた、仕事さぼっていったいどこにいたんだい? まったく忙しい時期だっていうのに」
嫁はいなくなった男の心配をするどころか、怒っているようだった。
男は疲れた顔をして、おとといの夜からの話を聞かせると、嫁は笑ってこう言った。
「そりぁ、狸に化かされたんだよ」
「死んじまったかと思ったら、生きてんだからまた驚きさ」
「あんたが悪いこと考えるから、狸がおしおきしたんだよ」
「いやあでも、あの酒の味が忘れらんねえよ」
「こりない人だねえ」
呆れる嫁だが、男は狸たちがお月見で飲んでいた酒の味が忘れられなかった。
体中を燃え上がらさせた、己を気持ちを沸き立たせるあの酒の味が、香りが、口の中を離れることはなかった。しばらくして我慢できずに男は田んぼで作る米から自ら酒を作るようになる。
そうして一夜飲んだだけの酒を目指していくうち、男はいつしか酒造りの名手と呼ばれるようになった。
ところで、その月見酒の味は出来たのかって?
それは誰も知らないよ。きっと狸たちと、その男にしか、わからない幻の味なんだから。